1953年に東京大学法学部を卒業後、東京銀行(現 三菱UFJ銀行)に入行。1964年に、世界の中堅企業を目指してウシオ電機株式会社を設立した。以来、光を「あかり」としてだけではなく、「エネルギー」として利用することで社会課題の解決や世の中の技術革新に貢献。
1994年には、人材育成と学術の発展に寄与することを目的として、学生に対する奨学金給与などの資金助成を行う、ウシオ育英文化財団(現 公益財団法人ウシオ財団)を設立した。
また、若手経営者時代から政官財学の連携に貢献し、第二次臨時行政調査会専門委員、経済同友会代表幹事、経済財政諮問会議議員、日本生産性本部やNIRA総合研究開発機構会長などを歴任。
1964年設立のウシオ電機は、翌年の1965年に「ウシオが社員の英知によって成長し、一人ひとりの人生の中になくてはならない生きがいのような存在になっていけたら」との想いのもと、「四つの基本方針」を策定しました。
この方針は、その後のウシオの歩みを規定する道しるべとして脈々と底流に流れ続け、“企業の社会的責任”を示す項目が付け加えられて現在の企業理念となり、すべての企業活動の基盤になっています。
会社の繁栄と社員一人一人の人生の充実を一致させること。
常に新しい国際社会において、品質、価格、
サービスともに十分競争力を有する商品を創り出すこと。
優れた製品、新しい研究開発を通じ進んで社会に
貢献すること。
中堅企業としての真価を世に問い安定利潤を確保すること。
病弱な幼少時を過ごしながらも、海の自然で英気を養い、多くの学びを得た。
0歳
昭和6年
2月12日 生誕
3歳
昭和9年
祖父他界
父が事業を継ぐ
6歳
昭和12年
姫路城巽小学校入学
8歳
昭和14年
神戸市舞子に引っ越す
明石女子師範学校附属小学校に転校
三高の理科乙類に入学後、社会を動かす政治を勉強したいと考え東大法学部政治学科に進学。その後、東京銀行(現三菱UFJ銀行)に就職。
12歳
昭和18年
神戸三中に入学
14歳
昭和20年
三菱電機神戸工場学徒動員
15歳
昭和21年
父が経済同友会、関西同友会、神戸同友会の創設メンバーとなるとともに経済同友会の幹事、神戸同友会の代表幹事に就任
17歳
昭和23年
第三高等学校理科乙類入学
サルトルなどの実存主義に傾倒
18歳
昭和24年
東京大学法学部一回生
カリフォルニア大学に留学。米国の精神や民主主義に大きな影響を受ける。その後、父の逝去に伴い家業(牛尾工業)を継ぐことに。モノクロ映画からカラー映画へと本格的に移行させたクセノンランプを開発・販売。
22歳
昭和28年
東京銀⾏⼊⾏
肺浸潤による療養
25歳
昭和31年
カリフォルニア⼤学⼊学
26歳
昭和32年
帰国
神⼾銀⾏⼊⾏東京外国部勤務
結婚 東京居住
27歳
昭和33年
父逝去
28歳
昭和34年
神戸銀行退職 牛尾工業入社
経済同友会入会
牛尾工業の電機部門を独立させ、ウシオ電機を設立。光をあかりとして、エネルギーとしてという方針のもと、世界の中堅企業を目指す。1969年、日本青年会議所会頭就任。1970年、ウシオ電機は東京証券取引所二部にスピード上場した。
29歳
昭和35年
青年会議所入会
会頭石川六郎氏の秘書を務める
30歳
昭和36年
青年会議所アジア会議でフィリピン訪問
33歳
昭和39年
ウシオ電機設立
34歳
昭和40年
四つの基本⽅針制定
35歳
昭和41年
日本音響の半分の従業員を引き受け日本ジーベックス設立
36歳
昭和42年
東京青年会議所 理事長就任
日本青年会議所常任理事就任
37歳
昭和43年
日本青年会議所副会頭就任
38歳
昭和44年
日本青年会議所会頭就任
社会工学研究所設立
オイルショックを契機に組織経営に転換。1979年にウシオ電機代表取締役会長に就任。JCや経済同友会の財界活動のほか、国際科学技術博覧会(つくば博)の開催に尽力。
39歳
昭和45年
日本JC宣言文採択
40歳
昭和46年
経済同友会 幹事就任
41歳
昭和47年
外務省東南アジア文化使節団として派遣
日本青年会議所卒業
44歳
昭和50年
経済同友会 社会開発委員会副委員長就任
45歳
昭和51年
新自由クラブ結成に政策面で関わる
46歳
昭和52年
イタリアデザイン交流協会発足 理事長就任
47歳
昭和53年
東京都知事立候補を要請される
48歳
昭和54年
都知事への立候補辞退
大平政策研究会への参加
ウシオ電機代表取締役会長就任
国際科学技術博覧会 基本構想委員会担当就任
松下政経塾設立 副理事長就任
第二次臨時行政調査会(土光臨調)専門委員に就任し、行政改革に尽力。電電公社、専売公社、国鉄の民営化などを成し遂げ、第二電電(現KDDI)を設立し取締役に就任。国際大学理事長としてグローバルな視点を持つ国際競争力のあるプロフェッショナル人材の育成にも携わった。
49歳
昭和55年
国際科学技術博覧会推進協議会企画委員就任
50歳
昭和56年
第二次臨時行政調査会 専門委員就任
経済同友会副代表幹事就任
『若き旗⼿たちの⾏動原理―ニュー‧リーダーシップのための20章』出版
52歳
昭和58年
第二次臨時行政調査会最終答申
国際大学副理事長就任
53歳
昭和59年
第二電電 取締役就任
54歳
昭和60年
科学万博つくば開催
政府税制調査会 委員就任
56歳
昭和62年
国際⼤学理事⻑就任
ウシオ電機創立30周年を記念し、牛尾治朗個人とウシオ電機からの寄付を基本財産としたウシオ育英文化財団(現ウシオ財団)を設立。人材育成と学術の発展に寄与することを目的に、学生に対する奨学金給与などの資金助成を行っており、設立以来、多くの学生を支援。1995年には経済同友会代表幹事に就任。
59歳
平成2年
沖縄懇話会発足 本土側代表幹事就任
63歳
平成6年
持ち株の半数を使いウシオ育英文化財団(現 ウシオ財団)設⽴
64歳
平成7年
経済同友会 代表幹事就任
65歳
平成8年
日本ベンチャーキャピタル設立、会長就任
66歳
平成9年
経済同友会「市場主義宣言」発表
68歳
平成11年
経済同友会 特別顧問(終身幹事)就任
ホテルオークラ取締役就任
内閣府経済財政諮問会議民間議員や観光立国推進会議座長など政界と財界の連携に貢献。資本主義市場経済の原則に基づき、自由主義的な規制緩和と行財政改革に尽力した。
69歳
平成12年
KDDI代表取締役会長就任
70歳
平成13年
内閣府経済財政諮問会議民間議員 就任
72歳
平成15年
社会経済生産性本部(現 日本生産性本部)会長
KDDI取締役就任
73歳
平成16年
観光立国推進会議座長就任
75歳
平成18年
日本郵政社外取締役就任
76歳
平成19年
総合研究開発機構(現 NIRA総合研究開発機構)会長就任
引き続き、政官財学の連携のハブとして日本と世界が直面する問題解決に向け、提言を行った。
81歳
平成24年
日本アカデメイア発足 常任塾頭就任
83歳
平成26年
日本生産性本部名誉会長就任
2020年にウシオ電機代表取締役会長を退任し、名誉相談役に就任。2023年6月13日、92歳で永眠。
89歳
令和2年
ウシオ電機 取締役相談役就任
ウシオ電機 名誉相談役就任
92歳
令和5年
6⽉13⽇ 永眠
牛尾治朗が創業した財団
ウシオ電機株式会社創立30周年を記念して、財団の設立者である牛尾治朗個人とウシオ電機からの寄付を基本財産とし、1994年3月に発足。
人材育成と学術の発展に寄与することを目的に、学生に対する奨学金給与などの資金助成を行っており、設立以来、多くの学生を支援してきました。
牛尾治朗は、常々「この奨学金を返済する必要はありません。奨学金を活かして大いに学び、多くのことを経験し、社会に貢献すること。それが奨学金の返済だと思ってください。そして、将来日本と世界の架け橋となって、大いに活躍されることを願っています」と奨学生に語っていました。
1981年
PHP研究所
2003年
致知出版社
2010年
致知出版社
2017年
致知出版社