USHIO

光技術情報誌「ライトエッジ」No.7(1996年7月発行)

留学レポート3

エントロピーの拡大を誓ったヴァンダービルト大学の留学

ウシオ電機株式会社 技術研究所 応用開発部
森本幸裕

ウシオ電機株式会社には人材育成の一環として海外留学制度がある。この制度に応募し、資格を頂き、1993年8月6日から1995年9月13日まで米国テネシー州ナッシュビル(Nashville)にあるVanderbilt大学の応用工科学部へ留学した。Nashvilleはテネシー州の州都で地理的には今期オリンピック開催地であるAtlantaの北西200mileに位置する。Deep southの入り口で南北戦争で指揮を取ったアンドリュジャクソン将軍が後生についた土地柄であることとmusic city,USAとして世界的に有名な町であり、一見、国際都市のようだが郊外ではもっぱら南部訛りの英語が飛び交う。渡米、留学の目的は同大学のRobert A. Weeks教授を訪ね、シリカガラスの基礎、最先端技術を学び、修士号(Master of Science, MS)を取得するためであった。Weeks教授はシリカガラスのRadiation damageの世界的第一人者である。彼とは今から5年前、横浜で行われたシリカガラスに関する学会で出会ったが、学会での彼の魅惑的presentationとその内容に感銘し留学を意識し始めたのを思い出す。29歳という企業原動力となるべき年齢であった小生に留学の機会と支援を与えて頂いたウシオ電機株式会社に対し、文頭ではあるが、感謝の意を表したい?

Nashvilleでの当初の生活は、慣れない環境と言葉を足枷にしながら、一日3時間、平日は毎日あるclass work(宿題と試験が厳しい)、master's thesis research、そして留学前にウシオ電機(株)で就業中に成果を収めた仕事を英論文にする作業のため11月まで費やした。11月にはその英論文を学会(PacRim meeting,Prof.Weeks' conference)で招待講演として発表するのであった。ウシオ電機(株)での仕事とは「シリカガラスの紫外線誘起歪み発生機構の解明」(8号に掲載される予定である)と題した放電ランプ発光管に関する研究であった。この発表のため学内ではseminarが行われた。seminarでは通常、MSStudentが発表することはなくPhD. studentが学内での仕事の進捗状況を発表するのだが、小生の場合、Weeks教授の意向であり、避けられなかった。初めての英語での発表であった。seminarでは学会本番より緊張し、発表もお粗末だった。が、他の学生や教授が内容を認めてくれ、その日を境にsienceに関する会話を多くの人とできるようになった。それまで無かった仲間ができたわけであり、このことが私のアメリカ生活を充実させてくれた。写真に示すは翌年2月、小生の誕生日パーティを開いてくれた様子であるが、あのように大勢で祝ってもらった誕生日は20年以上ぶりであった。

研究テーマは「X線、電子線励起によるシリカガラスの燐光発光特性、機構の解明」であった。研究活動は応用工科学部、物理学部との政府機関であるOak Ridge National Laboratory (ornl)で行った。Vanderbiltでは自由電子レーザ(FEL)をVanderbilt Medical Centerと海軍研究所(NRL)の支援のもと建設中だったが、そのプロジェクトの一部としての仕事であった。私の留学の特徴は研究活動を政府機関でも行ったことであり、ここでornlについて紹介したい。ornlには3つの区画設備、K25、Y12、X10(米政府機関略式名)がある。K25は天然ウランから238Uを分離しガス拡散させるプラントだった。ガス拡散のためにテフロンがここで開発された。Y12は金属ウランから238Uを質量分離器を使い分離するところで、核兵器の製造、組立は主にここで現在まで行われていた。X10が一般にornlと呼ばれる研究所で、マンハッタンプロジェクト以来、原子力発電の開発や材料、植物、動物あるいは人間への放射線照射効果が研究されている。私の研究はX10のプログラムの1つであった。シリカガラスに水素、ヘリウム、ネオン、酸素のイオンを注入することと、それによって変化した構造の解析をすることを主に行った。

研究ではX線源にmamagraph(女性の乳ガン早期発見医療器具、medical centerより支給された)を使用し、シリカガラスの燐光を測定した。X線のphoton fluxに燐光強度は比例することを確認し、バンドギャップ以上のエネルギーを持つ光子でも雪崩現象的励起発光はないことを学会発表した。この発見はFEL事業への一時的な朗報でもあった。その後、励起源をより励起効率の良い電子線に移行したが、電子線ダメージを受けた部分の発光強度が変化することに研究の注意が引かれた。発光強度の変化をシリカ中の酸素の移動であるとの仮説を立て、数種条件で酸素イオン注入し発光強度との関係を追求した。その結果、発光中心の1つがperoxy radicalであることを突き止めた。研究の成果は'95年8月のUniversity conferenceで2件の発表、留学期間の合計学会発表回数は5回、投稿論文は4通であった。

研究は5月の卒業後も行っていたが、目処が付き、帰国を間近に控えた,95年7月、渡米以来で最も難解、かつやっと研究者としての信頼を得られたかに思える申し出があった。物理部の教授から「研究対象となる何か新しい事象を特別な材料を使って見つけてくれ」とのことである。ウシオ電機(株)との留学契約がある私は丁重にこの申し出を断るしかなかった。アメリカ生活中、他に3度、申し出を断ったが、いずれも身に余るものであったことが嬉しかったり、悲しかったりであった。その後、共に学習、議論した仲間たちは博士過程へ進学、または他の大学やornl、NASAへ就職、私はウシオ電機(株)へ帰着した。25ヶ月間溜め込んだ貴重な経験というエントロピーの増大を誓って。

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